見なくていい。
ただの吐き出し。あの子じゃない。わたしのはなし。
母親が普通に歩けなくなった。退院したし、がんはもう抗がん剤治療だけでいいらしい。
ただ、退院して歩けなくなったところを見るのがとても辛い。本人のが辛いのはわかってる、そんなことは重々承知。まわりは支えることしか出来ないのもそう。
でも、でもあまりにもわたしには何も出来ない。くるしい、つらい、たすけられない、なにも、できない。ずっと無力。
つらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいくるしい
なにもできない
どうして自分じゃないんだろう?でもきっと自分が同じ立場になったら、今のわたし以上に周りが辛くなるんだろうなとも思う。自惚れかもしれない。
じぶんはなににもなれない、すぐにつらいことがフラッシュバックして息が出来なくなる。つらい、感情が波のように押し寄せてくる
こんな気持ちになるならいっそ死んじゃえばよかったなって、あの時終わりにすれば良かったのかなと思うんだけど、でもその選択をしてたらまた他人を苦しませてたんだよな。
なにをしても、なにをされても、どんな選択をしても、ぼくがくるしいことはなにもかわらない。
じゃあどうやって生きていけばいい?どうやったら苦しい気持ちがマシになる?つらい、つらいままはいやだ。
逃げたい、現実から。逃げられない、いくらインターネットにずっといても現実からは結局にげられない。あーあ、それなら、やっぱり、命を終わらせたいな。でも、きっとそれが一番他人をくるしめる。
他人を苦しめたくない、他人が苦しんでるのが苦しい、どうすればいいんだろうな。ずーーーっとこのまんま。
病気の症状は良くなってるはず、だって毎日死にたくないもん。希死念慮はなくなったわけじゃないけどかなり減った。薬を飲みすぎることだって、少なくなった。
でもなんでだろう、症状が軽くなればなるほど他人のことを考える余裕が出来て余計に辛い。自分だけの苦しみならまだ消化できた。他人の苦しみは、自分じゃ解決できない。さらに、つらい。
どうしろって言うんだ、病気で苦しんでた方が盲目で楽だった迄ある。薬飲むの辞めたらまた症状出てきて周りのこと考えられなくなって自分だけで苦しむだけで済むのかな。
まともになりたいと思ってる。でも、まともになればなるほど別の苦しみが増えていく。どうしろっていうの?
もうなにもわからないし、多分一生分からないと思う。
とにかく、ぼくの周りの人は誰も苦しんで欲しくない。けど、そんな世界はないんだろうなあ。
双極性障害が治っても、結局生きるのは辛いまま、なんだね。まあまだ治ってすらないけど。
ぼくにとってのステージという場所
昔からステージに立つのは「日常」でした。
どうもこんにちは、ぼくです。
今回は全体公開記事でちょっと触れたステージのことについて。
わたくし、4歳の時から某球団にて習い事としてチアダンスをしてました。
なので昔から、野球がある時期は毎月球場で踊っていました。オフシーズンはチアじゃないダンスを覚えてホールで踊ってました。
習ってたのは4〜15際の間。人生のだいたい半分!
なので、ステージに立つのは幼い頃からの日常でした。
ぶっちゃけダンスに命かけてたかっていうと全然そうじゃなくて、普通にレッスンサボってたし自主練あんまりしなかったし……
同じ習い事のしてる人の中では結構下の方だったと思う。
ただ、ダンスが好きな気持ちとか、球場で踊る事の楽しさっていうのは人一倍感じていた気がします。
まあそんなのも、終わるんですね。
15歳でやめた、表向きは受験勉強のため。でも本当はそうじゃない。
……人間関係で、やめた。わたしがダンスで仲良くしてる子はみんな1つ年上で、その子たちが卒業してから1人になったから。それが苦しくて、行きたくなくなって、受験だし〜って言い訳して、やめた。
それが最初のステージを降りた時。
あんなに大事だったものが、たかが人間関係で嫌になることあるんだ。って思った。こんな人間関係ごときで捨てられるなら、自分にとってダンスもステージもそんなもんだったんだなって思った、思い込んだ。
そうじゃないと、悔しくて悔しくて仕方なくなるから。あんなに好きで、大事だったものを?捨てた?そんな自分に嫌気がさすから、ずっと他人のせいにしてた。
これが、最初のステージを降りた理由。
……くだらないでしょ?最悪、だよね。
だからもう、二度とステージなんかにあがるもんかって。
でもね、2回目にステージに上がる機会は、割とすぐにやってきた。
高校に上がって、ダンス部があった。
入るつもりはなかったけど、ダンスやってたんですよね〜っていう話をしたら入ることになった。
辞めたことを後悔してたし、やっぱりもう1回やれるなら……と思って、入部した。
そこは、今までの習い事とは違って心持ちがう人しかいなかったから(いうて部員2人だけだったけど!)すごい新鮮だった。
ステージは文化祭。それだけ。今までみたいに短いスパンでやるわけじゃないし、レッスンも1年間かけて準備する〜とかじゃなくて、1シーズンごとに2曲ずつやってくっていう、同じダンスだけどかなり違う感じだった。
2回目の降りる機会は、これまた早くやってきた。
高校3年の春頃、もう完全にメンタルをやってて学校にも行けなかった。
なので当然部活にも行けなくて、糸が切れた。
あ、これ、こんな気持ちでダンスに向き合うの嫌だなって。
だから、また、逃げた。やめた。
なにも、最後までやり遂げられないまま。
これが、2回目のステージを降りた理由。
次の機会はちょっと遅れてやってきた。2021年、9月頃。
アイドルやりませんか?って同じVTuberの人から連絡が来た。
いちはなさんってダンスできるみたいだし、って理由で声掛けてもらったみたいで。
アイドルって柄でもないし……今更踊るのも……って思ってたけど、またステージに立てるのか……と思ったら、やってみたいです。って、言ってた。
それが、3回目に戻ってきたタイミング。
これは本当にイレギュラーだったと思う。探り探りでやってきてた。
アイドルってこんな感じなんだ〜って。
あと、はじめて歌いながら踊ったのが印象的だったかなあ。
ガチで難しかった。片手固定で踊るのってほんとに難しくて、どうしてもどっちも使いたかった笑
それでまあいろいろあって、ライブして、あー、歌いながら踊るのってこんなに楽しいんだって。
やっぱり自分って、ダンサーみたいな側面より配信者って側面が大きくて(ダンス下手なのわかってたし)
だから声を使えたのが楽しかったのかなって。
まあ、それもみんな知ってる通り、続けられなくて。
また、逃げた。最後まで、やり遂げられなかった。
これが、3回目。
やっぱもうやらないかな〜、やらないかも。やらない気がする。って思ってた。思ってたけど、ダメだったね。
ステージからは逃げられなかった。もうやめよう、資格がない、立つべきじゃない。
そう、思ってたんだけどなあ……
あ、あとまた話とっちらかっちゃうんだけど、わたし多分他人よりも人の前にパフォーマーとして立つ時の意識が高くて。
たとえば当然のことだけど衣装とか見た目をちゃんとしたり、人に見られることを意識したり。
配信でもそうなんだけど、インターネットの普及で誰でも人前に立てる時代になった今、なかなかそこを意識してやってる人が少ない……と感じている。
実際同業に対しても、趣味だからって理由でのんびりやってる人を見るとちょっとむむむ?となる。
もちろん楽しむのが1番だけど、他人に見られる以上振る舞いとか意識とかはちゃんとしてて欲しいなあ……とか、思ったり、思わなかったり。
ステージに関しての想い、愛憎に似てる。大好きなのに大嫌いで怖い場所。
そんな場所に、わたしは立ち続けていた。きっとこれからも、なにかあれば理由をつけて、わたしは逃げたところに戻っていくんだろうな。
ほえあ
今日のお気持ちブログ。
きょうはなににしよう、そうだなあ。
孤独の話をしようかなあ。
今振り返れば周りに人は沢山いたのに何故かずっと独りだったなって意識がある。
たぶん原因はこっちから壁を作ってたから、なんだろうけどね。
誰といてもなかなか満たされなくて、会ってる時は楽しくても別れるとすぐに虚しくなって、寂しくなって。よくないことを考えるぐらいにね?
底の空いたコップみたいに、注いでも注いでも全て零れ落ちていったんだあ。
それでまあ、寂しいことに気がついた、それと同時に「この寂しさは自分のせい」であることにも、気がついた。
人のこと信じられないから、人間って、結局みんな八方美人だし二枚舌使うし、今この瞬間仲良くしてても会ってないところで何か言われてるだろうし。
そんな意識が根底にあって、それはなかなか覆らなくて。むしろその事実が生きていくうちにどんどん深まっていくんだよね。大好きな子が鍵垢でわたしのことボロクソ言ってたりさ。
だから余計に壁を作って独りになってた。
でもね、そんなわたしでもひとりが嫌だし、どうにかしたい。
建前じゃなくて、本音で、人と仲良くしたい。
だから、だから誰か、どうか、壁を壊しに来てくれないかなあって、夢を見ながらきょうもいきてる。
この孤独から救われたら、きっとだれかを救えるのかな。むりかな、だって人は人にはすくえないから、自分で救いあげてあげるしかないから。
むずかしいね。
独りでいる理由ができれば、寂しくないのかな
最近ほわっと考えてること
何を考えてるかな〜
いろいろ考えてる。ほんとに。考えなくていい事まで考えてる。まあちょっとね、リアルが大変なのはみんなも何となくお察しだろうけど、その関連のことも、それ以外のことも。
まずここ1ヶ月ずっと考えてるのは「自分は誰も救えない」ってこと。
リアルが大変な事情なのはまあ親族のことで、その人の苦しみを当然理解できなくて、もちろん助けられなくて。他にも救いたい人間がいるんだけど、結局自分て何も出来ないんだなって。
人はもちろん寄り添うことは出来る、ただ、根本的な解決は本人がするしかない。解決策を提示することは出来るが、その策を採るかどうかは本人次第。
他人なんて結局何も出来ないし何も理解できない。
自分のことはやっぱ自分でするしかないんだわ。
そんなことはね、頭ではわかってる。頭ではわかってるけど感情がどうしても追いつかない。
どうしても無力感が拭えない。ああなんで私はなにもできないんだ、救えないんだ。君のことがこんなに好きで、大好きで、愛していて、力になりたいのに。
なにも、なにもできない。
わたしはメサイアコンプレックスを拗らせている。これは自分が救われたいから他人を救おうとするって心理。簡単に言うと。
わたしはずっと、救われたいらしい。家庭環境も、学校も、良好だった。なにも、なにもなかったんだ。それなのに、どうしても上手く生きられなかった。上手く生きられない理由は現在は判明しているので自分を必要以上に責めることは少なくなったので心配しないでね!
でもそんな環境だからこそ、つらい人の気持ちが分からない。寄り添えない。立場が違うから。
それがどうしようもなく苦しい。彼らは救われたがっている、もがいている、必死に生きている。
でも、わたしにはなにもできない。さっき言ったように寄り添ったり解決策を出したりそういうことは出来る。でも、そうじゃないんだ。わたしはただ、救世主になりたかった。自分のために、ただのエゴ。
どうしても、どうしてもただの人でいたくない。
わたしが欲しいのはね、奇跡を起こす力。全てを解決するような、そんな力。世界を覆せるような
子供みたいだよね、夢物語。叶うことがないことはとうの昔に実感してる。
だって、わたしは過去に何度も人を救おうとした。劣悪な環境で育って、生きることを苦しく思ってる人を、救おうとしたんだ。……そもそもこの考え方が傲慢なのは分かってる。
でもね、1回も成功しなかったんだ。救おうと思って、彼らのことを思って、いろんな話をした。聞き役に徹することもあった。視野が狭まっている彼らに分かりやすいように考えて例え話をしたりした。
ただそれでも、みんなは離れていった。自分から手に負えないと諦めて離れていくこともあった。
なにも、なにも救えなかったのだ。
人のために、なれなかった。結局人間風情が人間様を救うことはできないとひしひしと感じた。
そうやって何年も失敗を繰り返してもなお、人を救いたいという気持ちはなくならない。むしろ、どんどん大きくなっていて、本当に何も学ばないし最低だと思う。だって無駄なことはわかってる。そこにわざわざリソースを割くなんて効率が悪いし自分を追い詰める事になる。
実際、人を救おうとして関わるとかなりのストレスがかかる。彼らを傷つけないように、失礼にならないように、地雷を踏まないように……こうはしたくないけど、わたしは彼らからどうしようもなく嫌われたくなかったんだ。
自分のことはどうでもいい、自己犠牲なんて上等だ。だから、彼らに少しでも楽になって欲しかった。
もちろん、傲慢なことは承知で。
結局何が言いたいのかまとまらない、これだから文章や言葉は嫌いだ。すべてを感情で動いてるから。たとえば「恋人のどこが好き?」という質問にわたしは答えを出せない。もちろん出そうと思えば出せるだろう、落ち着くからとか優しいからとか守ってくれるからとか。でもそういうことは後付けに過ぎなくて、本心からの答えは「心が好きだと感じているから」という答えになる。
言語化が死ぬほど苦手だ。だからそもそもこうやって文を書いて発散するのは向いてないだろう。
でも悲しいことに感情を発散するには文にするのが効率がいいらしい。つらいきもちは紙に書出してぐしゃぐしゃにして捨てろと幼い頃カウンセリングを受けていた時に言われたし、考えていることをメモしなさいとか日記を書きなさいとかも言われた。飽き性だったし全然続かなかったけど。
だからわたしはきっと不器用ながらこれからも言葉に依存しながら生きていくのだろうな、と。すごく下手で、読みづらくて、伝わらない言葉を吐きながらきっと生きていくんだと思う。
……こうやってすぐに本題から逸れるのも悪い癖。
まあ簡単に何が言いたいか……とまとめたいところだけどそれも苦手なのでできない。
頑張って箇条書きにするなら
・自分の無力さがつらい
・人のことが理解できないのがつらい
みたいな感じだと思う。多分。
あぁ、あとこの感情の話をするとよく「優しい」「考えすぎ」「気にしすぎ」「自分を大事にしろ」って言われる。ただわたしはこの感情を無視して生きる方が苦しいのでこれを辞めることはきっとない。
その結果自分が傷ついたってどうでもいいし、相手から何もかえってこなくていい。恩を仇で返されたって構わない。だってこれは、好きでやってる事だから。
わたしはずっと、救世主になりたかった、見返りを求めるような人間らしさはいらなかった。ただ、ただそれだけなんだ。